きまブログ

2022-12から再開しました。

【備忘録】ボクの読書クロニクル

なんでか、急にまとめておこう。と思ったので、書きます。

読書クロニクル

いままで、どんな本を読んできたのかの記録です。

就学前 (-1982)

絵本とか読んでたんだろうけど、
そんなに好きではなかったんだろうと思う。


家には「三匹のヤギのがらがらどん」とかあるけど、姉の絵本だと思う。

三びきのやぎのがらがらどん (世界傑作絵本シリーズ―アメリカの絵本)

三びきのやぎのがらがらどん (世界傑作絵本シリーズ―アメリカの絵本)

母に「どんな本読んでた?」聞いてみても「覚えてない。」とのこと。。
まぁ、35年近く経てば忘れるだろう。。

小学生時代 (1982-1988)

どういう経緯だったかは、覚えてないけど、高学年の時には図書係?委員?だった。
お昼休みや、授業後に図書室の鍵を開ける係だったと思うけど、
細かいことまでは覚えてない。


この年代に慣れ親しんだのは「江戸川乱歩シリーズ」だった。
図書室にあったのは、すべて読んだと思う。
しかし「江戸川乱歩シリーズ」以外、読んだ記憶がないw
年代的には「ズッコケ三人組」シリーズとかが人気だったのは覚えているが。。
まぁ、当時から遅読だったんだろう。

怪人二十面相―少年探偵 (ポプラ文庫クラシック)

怪人二十面相―少年探偵 (ポプラ文庫クラシック)


たぶん、小学4、5年生くらいだったろう。
国語の授業で読んだ、新美南吉の「ごんぎつね」は意味が分からないまでも、
まさに心に残る作品だった。と言える。
まぁ、大人になっても意味が分かった。とは言えないけど。。

ごんぎつね (日本の童話名作選)

ごんぎつね (日本の童話名作選)


家には「SOS地底より」とかあるけど、これも姉の本。

SOS地底より (文学の館)

SOS地底より (文学の館)

中学・高校生時代 (1988-1994)

ほぼ、読書から遠ざかった時期だった。
課題として、読書感想文がある場合だけ本を読んだ気がするが、
とにかく苦手だった。
今でも書けない。。


ただ、高校の授業で夏目漱石の「こころ」を読んだ時には
「すげーなー」と思った記憶がある。
この時は、1・2部の概説があったうえで、
3部「先生と遺書」の一部を読んだだけだと思うけど。。

こころ (新潮文庫)

こころ (新潮文庫)

大学時代 (1994-2000)

理系の学生のボクにとって、
本というのは、必要な部分だけを読む参考書程度の物であった。
最初から最後まで通読するような、小説・エッセイの類は、まったく読まなかった。


大学の友だちの中には、すごく分厚い小説を読んでる人もいたけど、
ボクは興味を持てなかった。

いつのことか、まったく覚えていないので、ここに書いておく。
姉から聞いた話。


村上春樹著「ノルウェイの森」に、
「著者が死んでから何十年か経った本でなければ読まない男」
というのが出てくる。という話を聞いた。
※ つまり長沢のこと。
これは、後に読む本を選ぶ要素として影響を与えてくれた。

ノルウェイの森 上 (講談社文庫)

ノルウェイの森 上 (講談社文庫)

ノルウェイの森 下 (講談社文庫)

ノルウェイの森 下 (講談社文庫)

社会人(2000-)

転機になったのは、おそらく2003年ごろ。
大人として、有名な著作くらいは読んでおかないと「教養」という視点で、恥ずかしいのではないか?
と思ったところにあると思う。


手始めに、まず読んでみたのは、家にあった「坊っちゃん」であった。
この本の選択は、結果的に幸運だったと思う。
それは「坊っちゃん」以上に痛快で、取っ付き易く、おもしろい作品は、なかなかないからだ。

坊っちゃん (新潮文庫)

坊っちゃん (新潮文庫)

そんななか、芥川賞を、若い女性2人が同時受賞することがニュースになった。
というよりこのニュースのお陰で「坊っちゃん」を読み始めたのが、2003年ころだったということが推定できた。


ちょうど、文学に親しもうという意識が高かった時期のニュースだったため、
芥川賞受賞作を読んでみよう。という気になり、
それから、いままで11年間、文藝春秋の3月号と9月号は毎回買うことになる。
文藝春秋が良いのは、単行本を買うよりは安い。偉い先生方の選評が載っている。
という点にある。
まぁ、この段階での「芥川賞」の印象は、「すごい!最高の作品!」というイメージであった。
芥川賞は、カテゴリ的には新人賞だ。ということが分かるのは、ずいぶん先のことである。
そうはいっても、作品の品質は高いのだと思う。

ダイソー文庫

読書を続けていく中で「ダイソー文庫」という、とても優れた「文庫」に巡りあったのは本当に幸いだったと思う。

もう販売されていないのだけれど、これは、要するに青空文庫を紙にしたモノなのだけれど、
それだけでなく、欄外には難解な言葉の解説などもあり、
そもそも語彙の少ないボクには、都合のいい本だったのである。
おまけに¥100。
(いくら底本が青空文庫とはいえ、元取れてるのかな?)
この文庫で、夏目漱石宮沢賢治太宰治梶井基次郎の代表作を読んだ。


なんで、なくなっちゃったんだろ。。と思ったら、復活していました。買いに行こ。
大創出版ホームページ 文学シリーズ
※ 旧作の30冊の中の人気の5冊の復刻らしいので、同じものを買わないように。。

読む本を選ぶ。

読書を続けていくと、古今東西の無限とも言える本の中で、
ある程度ポリシーを決めて、読む本を選んでいかないと、
短い時間の中で効率よく、いい本は読めない。と判断し、
ボクの中で、読む本を選定するルールみたいな物ができていった。


ボクの読む本の選考基準はだいたいこんな感じ。

  • あたりまえだけど、興味のある本は読む。
  • 文学作品は、作者が没している著名な作品を中心に読む。(翻訳者は関係なし。)
  • お仕事に関係ある本は読む。
  • ベストセラーに左右されない。
  • 芥川賞受賞作


そのため、当代のベストセラー作家様とは縁遠いのは言うまでもないです。


こうして、まったく本を読まない少年が、
著名な小説を少し読んだ程度のオッサンになりました。

本を読むということ。

はじめに「坊っちゃん」を読んでから、累計で何冊読んだかは数えていない。
文学というカテゴリだけであれば、100作品には満たなくても近い所までは読んでいると思う。
しかし「本を読む」という事の本質にはまったく迫れていない。
という事は、常に感じている。


もともと「常識的な教養・知識」を得る。という、
読書を楽しむ。という純な気持ちとは違う所からスタートしたのが要因だったのだろう。


その時は、
読書というのは、文学ならストーリーが判れば合格なのだ。
と考えていた。
もしそうであれば、文学なんて、小説なんてA4一枚の要約版だけあればいいことになる。


違うのである。
読書は「ストーリーを知る手段ではない。」
そう感じたのは、読書を始めてから、ずいぶん経ってからの事だった。